今回は教育について考えてみたいと思います。
算数のドリルでこんな問題があったとします。
(1+1)×2=
正解は4ですね。
4以外の答えはバツとされてしまいます。
すなわち4以外の答えはゆるされないということです。
これが現代日本の常識です。
一生懸命に考えて出した答えをいとも簡単に否定されたら
どんな気持ちになるでしょうか?
学ぶことを嫌いになってしまうのも当然かもしれません。
もちろん学校を卒業して社会に出てからもこの常識は引き続き存在します。
例えばサラリーマンは
心を込めて考え出した結論を上役の鶴の一声でいとも簡単に否定されてしまうのです。
上役にとってはまるで算数ドリルにバツをつけるのと同じような感覚でしょう。
「間違っているものにバツをつけて何が悪い?」
これも現代日本の常識です。
話を戻して算数ドリル。
(1+1)×2= の問題を
1+1=3と勘違いしてしまい答えを6としてしまったとします。
いまの常識で考えますと
「1+1=3としたから答えの6は間違っている」となります。
しかし見方を変えれば
「1+1=3としたから3×2となり答えは6で正しい」
とマルをつけることもできます。
前者は1+1=3の間違いをとがめ
後者はその間違いをとがめずにゆるしたということです。
ここで気がつくのは
間違いをとがめなかったからといって
その子どもがこれからさき1+1=3とし続けるわけではないということです。
バツでもマルでも子どもは自分の間違ったところに気付き
次は気をつけようと思うはずです。
しかしバツとされたときとマルをもらえたときとでは
子どもの心に残るものがまったく正反対のものになってしまいます。
実際血の気の多かった私はバツとされたときにクソッって思ってました。
あ~あ・・・とガッカリしてしまう子もいるでしょう。
もちろん子どもたちの学校だけではなく大人社会でも
バツが減りマルが増えればいいのになぁと思います。
『大切なのは、どれだけ沢山のことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです』
とマザーテレサは教えてくれました。
もしかしたら「一生懸命に心を込めた行い」は
どんな答えであってもマルなのかもしれません。
一方で「いい加減な気持ちでの行い」は
たとえ正解であってもバツなのかもしれません。
お付き合いありがとうございました。
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ゆるしドリル
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